亡くなった友人を想う|亡くなった連絡を聞いて
「生きる喜びをすべての人に」が理念のチューリップ企画で3年前から働き始めた映画事業部のヒロカズです。
週末は仕事が立て込んでいたので土曜日は夜の8時にダウンしてしました。気が付くと日曜日の朝の5時。休みでしたが、さっそく起きて携帯の電源を入れるとLINEのメッセージが入っていました。LINEの送り主は昨年亡くなった父の葬儀の時、実に11年ぶりに会った幼馴染からでした。
内容は寝ぼけ眼をたたき起こすショッキングなものだったのです。
最初に「連絡がまわってきたので回します」と一文がありました。その後新聞記事が添付されています。
よく見ると亡くなった人が掲載されているおくやみ欄です。目を凝らして名前を見ると。。。そこには、同じ町に住み、小学校、中学校の同級生だった幼馴染の女性の名前が掲載されていたのです。
亡くなった日時は1週間前だったので、まわりまわって届いたLINEだったのでしょう。
中学校卒業以来、一度もあったことがない女性でしたが、結婚して幸せな家庭を築いているということを父の葬儀の際、LINE交換した幼馴染からは聞いていました。
そんな話を聞いてまだ半年も経たないうちに亡くなってしまうなんて。。。中学時代の彼女の笑顔を思い出すと悲しみが込み上げてきました。人は必ず死んでいく。それは年齢、立場、家庭環境に関係なく必ずやってくる現実です。
亡くなった人に触れた時
好きな芸能人、スポーツ選手が若くして亡くなったニュースを聞くと「えーあの人が。。。」と驚く人が多いのではないでしょうか?よく知った友人、取引先の担当が亡くなった話を聞くと「えーほんと?」ともっと驚く人が多いことでしょう。
それが、親友、恋人、家族が亡くなった場合はどうでしょう。
言葉を失うというのが実感で、「悲しい」という言葉では表現できないのではないでしょうか?
実は私がそうでした。大切な人が亡くなった直後は事実を事実として受け止めることがなかなか難しい日々が悶々と続きます。
私も長いほうだと思いますが、中には10年経ってもそういう日々が続く人があることを仕事の関係で聞いたことがあります。
亡くなった人がどれだけその人の心の支えであり、灯りであったのか、亡くなった人を語る時の寂しげな表情と涙声が、それを物語っているのではないでしょうか?
特に親が子供を亡くした悲しみは想像ができません。15歳の時、私の母は亡くなったのですが、その母が病気で亡くなった時、祖母が母の遺体に最後までとりすがり「かわいそうに。かわいそうに。」と涙ながらに母の遺体の頭をなでていた光景が今でも目に焼き付いています。
それ以来、私は大切な人を亡くした時、いつも自分の人生にも限りがあることを自覚するようになったのです。
亡くなった人の分まで
目覚めと同時に飛び込んできたショッキングな連絡は休日のまどろみを吹き飛ばし、朝5時から活動するきっかけになりました。洗顔を済ませ、出かける前に週末残っていた仕事を片付け、自分が今日亡くなっても仕事上の迷惑はかけないという状態に駆り立てたのです。
「朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて 夕べには白骨(はっこつ)となれる身なり」
-蓮如上人(れんにょしょうにん)-
まとめ
人はいつ亡くなっていくかわかりません。
朝、「行ってきます」と言って元気に家を出た人が、夕方ひとつまみの白骨(はっこつ)となって帰ってくることが、これまで歴史上どれだけあったことでしょう。
大切な人が亡くなった「悲しみ」をどう受け止めたらいいか、身近な人を亡くした人は悩んでいることが多いのではないでしょうか?
紹介した蓮如上人(れんにょしょうにん)『白骨の章』(はっこつのしょう)の一節は娘を亡くした親の為に蓮如上人(れんにょしょうにん)が書かれたものだと言われています。蓮如上人の言葉の中にヒントが隠されているのかもしれません。
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ヒロ☆カズ
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